糖質制限とグルテンフリーと節約生活

いろいろと試してみたくなり、こんな事をやり出しました。。

最終回

さて、

次回から別の検証に取り掛かろうと思うのだが、これはここのブログとは全く違う内容なので、ここでは取り扱わないことにした。タイトルどおり、「糖質制限グルテンフリーと節約生活」なので、これとは全く違う内容ということだ。糖質制限も終わったし、グルテンフリーは今も続けているし、節約生活は当然のことだ。

さて、次に取り組むお題は「武術」になる。私は武術歴は20年を超えているが、約3年前から習い始めた太極拳で大きな転換期を迎えた。

 

今までやってきた

武術は、古流剣術、古流柔術沖縄空手、そしてこの太極拳となる。空手と柔術については教えている。太極拳を習い始めたきっかけは、古流柔術の内容になんだか満足がいかなかったからだ。柔術は古来「やわら」と呼ばれていて、その名の通りやわらかい動きのはずだ。しかし私のやっている古流柔術はそんなにやわらかくない。優良門派といえばそうなのだが、型稽古にしてもなんだか腑に落ちないことが多い。そこで太極拳なら何か良いヒントがあるのではないかという全くの直感で、誰かいないかなあ、と探していたところ、今の先生に行き着いたのだった。

 

そこで体験したことは、

全くの技のレベルの違いだった。これぞ本物の「やわら」と言うほどの力感のない技。そして自分が出来たときの力感のなさ。今までやってきた古流柔術は、これに比べるとあきらかに「剛術」である。考え方や身体使いが全く違う。本当の意味で「力を使わない」のである。ほとんど「何もしない」に近い。緩めるとはいっても、ここまでとは全く考えもしなかったのだった。私の稽古生の一人も習い始めたのだが、彼は大東流合気柔術の有名な先生のところへも掛け持ちしていたのだが、辞めてしまったほどだった。彼曰く、大東流以上の技、と言うことだが、太極拳の先生が言うには、もともと大東流がこういった技だった、と言うことだった。つまり、いまやこういった技が出来る人がほとんどいない、と言うことであろう。

 

これから取り組む内容とは、

つまり、「緩む」である。如何に「何もしないか」である。今まででは力を入れることしか考えていなかった。どちらの方向に、どれくらいの力をかけるか、それがどれくらい小さくて済むか、といった考えである。だがこれからは、以下に力を抜いていくか、入れた力をどのように緩めていくか、である。これらはもちろん教わっているのだが、出来て初めて「理解した」と言える。やられた感覚は、自分が勝手に崩れていっている、としか言いようがない。いつ崩されたかも分からない。力感がないのだからしょうがない。それらも教えてもらっているのである程度は出来るようになったのだが、すぐに元に戻ってしまう。先生が言うには「学校の体育の授業で本来備わっている身体の動きが壊されてしまっている」のだそうで、これについては私も納得できるようになった。今まで積み重ねてきたことが全く通用せず、だが、今まで積み重ねてきたからこそ、今習っていることのすごさが分かるのだと思う。全く新しい道への一歩だ。

 

太極拳を習い始めて

3年目に入っているのだが、ここまで理解できたのがつい最近のことだ。先生に言わせれば「とても早い」と言うことなので、それが救いだ。なにしろ私もアラ50代である。先生との出会いが遅すぎた感もあるが、先生と出会う前までにここまで身につけていなければ、先生の凄さもわからなかっただろうし、説明も理解できなかったと思う。やはり自分のレベルにふさわしい時期に出会うように、人生できているのだろうか。

 

と言うことで最終回。

タイトルと今後の内容が全く一致しなくなるので、このブログはこれにて最終回となる。新規にブログを立ち上げ、新しくスタートすることにしたが、ここからのリンクやお知らせは一切しない。武術や格闘技のカテゴリーにするかどうかも分からない。縁があって、再び出会うことがあればまた読んでください。

今の私にとって「緩む」とか「何もしない」と言うことが人生の「それ」に当てはまっているような気がする。

人生の「それ」はもしかしたら、自由に生きることかもしれない、好きなことをすることかもしれない、嫌なことを辞めることかもしれない、がんばらないことかもしれない、努力しないことかもしれない、我慢しないことかもしれない、わがままに生きることかもしれない。なんだかいろいろと思うところがある。

「緩む・何もしない」というのは武術のことだけに限らず生き方のことでもあり、本来ヒトはそのように生きることで何の苦労もなく幸せになれるのではないだろうか、と思う今日この頃である。

 

それでは皆さん、これにてさようなら!

 

検証終了。